~家庭用電気治療器の普及~
戦後の日本における電気治療の発展は、復興期の希望と技術革新の精神を象徴する物語です。焼け野原から立ち上がった日本人が、健康で豊かな生活を求める中で、電気治療器は医療の専門機関から一般家庭へと普及し、真の「健康の民主化」を実現したのです。
1945年の終戦直後、日本の医療機器産業は壊滅的な状況にありました。しかし、戦前から電気治療器製造に携わっていた技術者たちは、困難な状況下でも研究開発を継続し、より安全で効果的な装置の開発に取り組みました。1950年代に入ると、電子技術の急速な発展とともに、小型で高性能な電気治療器の製造が可能になりました。
この時期の代表的な成功例が、オムロン(当時の立石電機)が1960年に発売した家庭用低周波治療器です。創業者の立石一真は「機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野での活動を楽しむべきである」という理念のもと、医師でなくても安全に使用できる電気治療器の開発に情熱を注ぎました。
1961年には国民皆保険制度が発足し、国民の健康に対する意識が大きく向上しました。この社会的背景の中で、家庭用電気治療器は「予防医学」「セルフケア」の重要な手段として位置づけられるようになります。肩こり、腰痛、神経痛など、現代人の慢性的な不調に対して、医療機関を受診することなく自宅で手軽にケアできることの価値が広く認識されました。
高度経済成長期の1960年代から1970年代にかけて、日本人の生活様式は大きく変化しました。デスクワークの増加、運動不足、ストレス社会の到来などにより、慢性的な筋肉痛や疲労に悩む人々が急増します。このような社会的ニーズに応えるため、各メーカーは競って新しい電気治療器を開発し、技術革新を推進しました。
特に注目すべきは、日本独自の「微弱電流技術」の発展です。欧米の高出力型電気治療とは異なり、日本人の繊細な感受性に合わせた優しい刺激の電気治療器が開発され、これが「日本型電気治療」として確立されました。この技術は、痛みを感じることなく治療効果を得られるため、高齢者や子供でも安心して使用できるという大きな利点を持っていました。
1970年代後半には、マイコン制御を取り入れた高機能な家庭用電気治療器も登場します。複数の治療プログラムを内蔵し、個人の症状に合わせた最適な刺激を自動で選択する機能は、家庭用医療機器の概念を大きく変革しました。
この時期の電気治療器普及は、単なる技術的成功にとどまらず、日本人の健康観にも大きな影響を与えました。「病気になってから治す」のではなく「日頃から健康を維持する」という予防医学的な考え方が定着し、これが現代の健康ブームの原点となったのです。
戦後復興期から高度成長期にかけての電気治療器の普及は、技術力と人間性を両立させた日本の製造業の特徴を象徴する出来事でした。この経験が、後の日本の医療機器産業の国際競争力の基盤となっているのです。
◆LXMコラム担当
